最近、リスキリングだったり、アンラーニングという言葉が今もてはやされている。
新しいスキル、知らない領域の知識などを学ぶ「リスキリング」、
学ぶにあたり今までの知識や、考え方を捨てることを「アンラーン」と
言うらしいが、この2つの言葉、表裏一体のような気がする。
どちらも、「学びなおし」という意味合いで使われ、学ぶことに重点をおいているのか過去を棄却することに重点を置いているのかの違いのようにも思える。
今なぜこうした言葉が頻繁に出てくると言えば、コロナによる生活様式の変化で、
新しい様式・ツールに多くの人が否応なく対応せざるを得ない状況となり、かつ、
国の成長戦略のひとつとして位置づけられているからだ。
私の仕事柄、多くのベテランエンジニアも方と面談を過去してきたが、
自分の知識・経験の枠内でしか話されない方や、過去の失敗を活かしきれない方がいらっしゃる中で、
様々なプロジェクトを長期に続けられている方というのは、すでにアンラーンしながら、現場に上手く適応されているのではないかと思う。
新しい顧客・新しいプロジェクトになれば、開発言語が同じであっても、開発ツールも変われば、ルールも環境も人も異なる。例えば新しい構成管理ツールを目の前にして、手を出さず「昔のツールの方がはるかに使いやすかった」と愚痴っているだけならプロジェクトに貢献することはできないだろう。
長くプロジェクトを続けられる人は新しいツールでも抵抗なく自分の仕事のプロセスに組み込んで
プロジェクトに溶け込んでしまう。
また以前、面談していて、ベテランCOBOLエンジニアの方から、「所詮COBOLもJavaも同じでしょ。本見ればJava書けるよ」と言われたことが数回ある。本人は、自ら止の可能性を宣伝したかったのだろうが、知っている人からすると「根本的な違い」を理解しているのか?「中身知らないで行っているな」と感じてしまう。
今まで経験してきた手続き型言語の視点で他の言語を見ると、所詮ロジックは条件節とループがメインだし、違いは無いと本人は感じてしまうようだ。
どうしても、自分の経験してきた尺度で物事を見・判断してしまうと、「どうせこんなもんだろう」と固定化して、ただの「知ったかぶり」で思考が止まってしまう。
でもベテランの優位点はやはり経験の多さ・長さだろう。いろいろな種類・場面の経験、成功も失敗も
含めてもっていることが強みである。これを全部捨てたら(アンラーンしたら)何も無くなってしまうのではないか。
一方でシニアは頭が固いとも言われる。「固い」とはどういうことかと言うと、行動や考え方を固定化してしまうことだ。なぜ固定化してしまうのかというと、頭にとってそのほうが情報処理上「楽」だからではないかと思う。新たな情報もいままでどおり処理すればいい。だから簡単だ。アンラーンしないといけないのは、この「固定化」なのではないか。
豊富な経験は、ベテランエンジニアにとって大きな差別化要素だけれども、あくまでも差別化の
一つでしかない。経験に囚われるすぎると、自分が逆に囚われてしまう。
アンラーンとは経験を全て捨てるということではなく、ある意味過去経験をどう位置付けるのかと
いうこととも言い換えられないか。
以前運用保守の仕事をある方にご紹介したときに、「過去に構成管理の失敗経験があるので、構成管理は他の方にお願いできませんか」と頼まれたことがある。失敗経験を「君子危うきに近寄らず」で失敗=地雷として自分の仕事範囲を絞る例だ。失敗は誰にでもあるし、今時失敗を経験していることが貴重な経験のひとつとなる。こうした経験をより良く仕事をしていくために活かさないと、経験の意味・価値がないとも思う。失敗したという経験ではなく、何が失敗を生んだのかという経験の見直し・分解が必要な場合もあるだろう。
また新しいことを学ぶ上で、過去の経験は、比較しながら習得できる視点にもなりうるかも知れない。
JavaはCOBOLと何が違うんだ、なぜJavaは広がり、COBOLは少なくなったのかという視点を持ちながら学ぶと、より全体像を把握しやすいかも知れないし、逆に比較してみて、まったく比較対象にならないのであれば、それこそ過去の知識を敢えて棄却してまっさらな気持ちで学べば良い。
アンラーンの要諦は、過去の経験に囚われるなという事ではないか。
新しい環境に対応して長く活躍していくためには、アンラーンが必要な場面が今後も多く出てくると思う。その時に、いままで自分が経験してきたこと、蓄積してきた事をどう位置付けて(視点のひとつとするのか、抽出して一部を活かすのか、それとも棄却するのか)、新しいことに臨むのかが今後の変化に対応していくために重要な姿勢ということではないだろうか。