現在、50代、60代のシニアのITエンジニアが自分のスキルを活かして仕事を続けられるように支援をしていく仕事を進めている。今は、受託ソフトウエア開発会社に、50代、60代のエンジニアの人材募集がないか聞いて回るという足でかせいで案件の掘り起こしをしている。
営業で回って感じることは、世の中IT人材不足が言われて久しいが、シニアのITエンジニアにニーズが来ているかというとまだまだ感じはない。
「50代、60代のエンジニアの紹介をしています。」と説明をすると必ず「お客様から40代ぐらいで要員いないかと言われているんだよね」と言われる。こちらはめげずに粘り強くシニア向けの案件を探すのが仕事なのだが・・。
一体ITエンジニアの人材マーケットの中で、シニアがトライできる案件はどのくらいあるのか、ためしに毎日送られてくる案件情報をもとに分析してみた。
年齢制限がない案件は約半分(年齢制限がないとは、50歳までの年齢制限がついてないものを選択。)
でも、年齢制限が付かない案件の6割は、Java、C,C#,VB.Netといった現状の50代、60代が親しくない言語が対象の案件だ。(逆に年齢層が若手に限られるので制限記載がないともいえる。)COBOLはどうかというと年齢制限のつかないものの中で8%程度を占める。(COBOLで言えば半分は年齢制限付き、半分は年齢制限なし)
全体の案件から見れば年齢制限のないCOBOLは4%、テスト等も含めてシニアのスキルを活かせる対象になるのは、全体で8%程度の案件だ。(もちろんこれは言語技術のみで見たもので、案件の要請として業務スキル等付加価値があって初めてマッチしたとして候補となる。)
100件案件あったら、年齢と技術で対象が8件。そこから業務経験・場所等付加条件で候補となるのか選択となる。
現在広告でシニアを顧問ビジネスにと手掛けている会社は多い。流行っている感覚をもつが、一説によると、マッチ率は5%程度だそうだ。
こうしたサイトで、登録して全く連絡がないとこぼすシニアのツイートを見たことがある。
広告見て、「俺もいけるんじゃないか」と思って登録するが、数値的に見れば5%で、大量に登録して、数少ない成約でビジネスのつり合いをとっているビジネスモデルなのだ。(応募するシニアもこうした市場状況を理解しておく必要がある。登録は無料だからいいものだが・・・・)
先ほども述べたように、現状マーケットで回っている案件の比率で、多いのは、Java、C,C#,VB.Netというマーケットだ。あと5年後に出てくる50代のエンジニアでこうした技術をもった人は増えてくるだろう。そうすれば、マッチ率は上がってくるかも知れない。
そのうえで、現在のシニア予備軍が将来的に価値を増やそうと考えているのであれば、デジタル技術(アプリ技術やツール技術)を経験していた方が安定的にスキル活躍の場が見つかるだろう。もちろん、Python,Node.jsやAI系等のツールや経験があれば、もっとエンジニアマーケットに近づくだろう。シニアで働くにしても、どれだけ技術を理解しているかが価値の差になっているのである。
政府は「人生100年時代構想」社会人が最新技術などを再学習する「リカレント教育(学び直し)」の制度整備に本格着手する方針を固めた。いい方向だと思うが、これが単に雇用している企業に補助金のように渡してとなると意味がなくなる。自立するためにお金は使われないからだ。
是非(非正規の若者はもちろんのこと)シニアが再度社会で活躍するための学びなおす機会として検討されればと思う。
さらに、大学との連携もいいだろうが、「飯が食える」実学を学べる場として提供されればと思う。
さらにシニアには、学びスキルは現状では評価対象ではなく、あくまでも「経験のみ」が評価対象になっている。是非リカレント教育での評価も評価対象になっていくように変わっていく必要があるだろう。
足でかせぎながらも、シニアのエンジニアの案件が少しでも増えていくことを望んでやまない。
IT業界の人材不足を起こすもうひとつの要因は、
プログラマ→システムエンジニア、そしてプロジェクトマネージャ
といった直線的なキャリアパスの存在だ。
人材不足をもうすこし職種別に細かくみていこう。
『IT人材白書2017』から、職種別の情報処理・通信に携わる人材数から職種割合を
見てみる。(人材白書上は、IT企業、IT企業以外と分けて記載ですが、合算して記載。)
日本
職種 | 人数 |
システムコンサルタント・設計者 | 552,000人 |
ソフトウエア開発者 | 304,100人 |
米国の状況と比較してみると
米国
職種 | 人数 |
システムコンサルタント・設計者 | 1,070,000人 |
ソフトウエア開発者 | 1,544,900人 |
なんと日本では、ソフトウエア開発を専とする開発者の方が設計者・コンサルより
少ないとは改めて驚いた。
(ちなみにシステムコンサルタント・設計者に集計されている職種は、
システムアナリスト,情報ストラテジスト,システムコンサルタント,
ビジネスストラテジスト,ISアナリスト,システムアーキテクト,
情報処理アーキテクト,ISアーキテクト,情報処理プロジェクトマネージャ。
それ以外がシフトウエア開発者だ。)
もちろん、分類の仕方や範囲によって数字は変わるものであるが、
”ソフトウエア開発を専として従事している”と言える人が少ない
ことは確かな事実なのかも知れない。
現実当社に毎日回ってくる人材募集の内容を見ても、
ほとんどがプログラムスキル保有者だ。
なぜ、ソフトウエア開発者が少ないのか。そのひとつの理由は、ソフトウエア開発者として
従事していくる期間が短いからだ。その期間はスキル的な問題で短くなっているわけでは
なく、構造的にソフトウエア開発を専としてやれる期間を短くせざるをえない状況に
あると言える。
その原因が職種に伴う単金差とそれに”紐づく”直線的なキャリアパスの存在だ。
各職種の平均年齢を米国と比較してみる。
職種別平均年齢
米国
職種 | 平均年齢(中央値) | 備考 |
Computer and information systems managers | 45.5歳 | ボリュームゾーンは、45-54歳 |
Computer systems analysts | 42.4歳 | 〃 25-34 |
Computer programmers | 42.6歳 | 〃 35-44 |
Software developers, applications and systems software | 39.6歳 | 〃 25-34 |
日本
職種 | 平均年齢 | 備考 |
システムエンジニア | 36.9歳 | ボリュームゾーンは、30-39歳 |
プログラマー | 32.1歳 | 〃 25-34歳 |
中央値と平均年齢は比較できないものであるが、ボリュームゾーンから見ても
日本のプログラマやSEの年齢が比較してかなり若い=寿命が短いことがわかる。
プログラマのボリュームゾーンに至っては10年違うのだ。米国と比較して
プログラマの従事期間は5,6年少ないのではないか。
プログラマとしての従事期間が短くせざる負えない数値がもうひとつある。
日米の情報処理・通信に携わる人材の年収を比較してみた。(『人材白書2017』より)
日本
年収 | |
全就業者 | 4,892,300円 |
システムエンジニア | 5,923,300円 |
プログラマ | 4,083,500円 |
米国
年収 | |
全就業者 | 48,320ドル |
アプリケーションソフトウェア開発者 | 102,160ドル |
プログラマ | 84,360ドル |
米国の給与の高さにも驚くが、日本のプログラマの平均給与は、全就業者平均よりも低い状況にある。
SEとの給与差は、1.5倍だ。プログラマは否応なしに皆システムエンジニアを目指すことになる。
さらに、プロジェクトマネージャへ。
会社としても、プログラマをどんどん卒業させていかないと”売上拡大”は難しい。
会社もエンジニア自身もプログラマ→システムエンジニア→プロジェクトマネージャといった
キャリアアップルートを目指すことになる。しかも優秀な人ほど早く”ソフトウエア開発者”から
卒業していくことになる。
今PM人材募集の年齢を見ると30代、40代。プログラマ、エンジニアとして”手や頭を動かすのは”
現実、10年~15年程度となる。大手IT企業だともっと短いのではないか。
例えばプログラマとしての寿命は5,6年ぐらいではないのか。
こうした一本調子しかないキャリアアップが、ソフト開発技術者不足に拍車をかける。
IPAはキャリアパスの例としてアプリケーションエンジニアとして深めていくか、
異なる職種(PM)に行くか縦・横型のキャリアパスを示している。(図参照)
しかしながら、多くの企業は形式的にはともかく、”実際上は”直線的なキャリアパスを
選択している。(せざるを得ないのだ)
そのⅠにおいて、日本と米国のIT人材の年齢構成の比較をもとに、日本のIT人材の
年齢構成が”45歳定年モデル”を中心に成り立っていること、米国と比較しても、
若い層に偏っていることを示した。
キャリアパスについても、まさに”45歳モデル”を中心になりたっているのだ。
IT人材不足を解消していくひとつの方法は、従事人口を増やしていくことである。
つまり、それぞれの職種の寿命を延ばしてあげることで、活用できる人口は増えてくる。
45歳モデルを55歳(その年齢まで現場で使う)へと10歳延ばせば、2割程度活用できる労働力
を増やせることになる。今や45~54歳ゾーンがボリュームゾーンとなっているので影響力は
大きいのだ。
それぞれの職種の寿命を延ばして人材を活用していくためには、”今までの”仕事のやり方や
キャリアステップを変えていく必要があるだろう。
新しい技術への対応していくためにも、職種寿命を延ばしながら付加価値を高めていく
ことが求められていると感じる。
今までの”体力”技でのプロジェクト運営を、各職種の付加価値を高めながらどうコーディネート
していくのか。新しい技術と過去の”経験知”を活かしたパラダイム変換が必要なのではないか。
参考文献
・Employed persons by detailed occupation and age
https://www.bls.gov/cps/cpsaat11b.htm 合衆国労働省労働統計局
・総務省統計データ 2016年度
・『人材白書2017』 独立行政法人 情報処理推進機構(IPA)
・『ITスキル標準 V3』 独立行政法人 情報処理推進機構(IPA)
IT業界では、人材不足が顕著である。そしてこの傾向は拡大している。
経済産業省のモデルでは、IT 投資の伸び率を最も手堅い年率1.0%と仮定した場合でも、2030 年には
41 万人のIT 人材が不足すると予測され、41 万人の不足は、現在のIT 人材の4 割を超える規模となる。
その対策として、シニアIT 人材や女性、外国籍人材等の多様なIT 人材の活用によるIT 人材の量的確保
に加え、技術イノベーションによる革新的な生産性の向上、人材流動性の確保等による解決策を説いている。
ところが、人材不足という状況において、こうした対策にある取り組みはまだまだだ。
ちなみに私の会社のミッションは、シニアのエンジニアの”経験知”を使いながら、システム開発の効率化や品質向上、活用推進をしていくことだ。シニアのエンジニアが自分のスキルを使いながら、長く働いていけるようにしたい。
最近営業で、様々のIT企業様に訪問すると、だいたい同じ会話になる。
「うちも案件が多くて、人材不足なんだけど、せいぜい行けて45歳ぐらいまでなんだよね」
「それって、プロジェクトのすべての職種でですか?」
「マネージャ、リーダから開発者まですべて」
最初はあまり気にならなかったが、ほぼすべての企業様で言われる。
こうしたIT企業様送られて来る求人紹介も40代までの年齢制限付きだ。
年齢制限が付く理由は、元請けのプロジェクトリーダが40代で、それより上のメンバはつけないでと
依頼されるのが理由らしい。
求人を選択する場合の優先度合いは、スキル、経験その次に年齢だが、スキル・経験があれば
年齢ハードル超えられるかというとそうもいかない。
必須条件のひとつだ。
もちろんこうした年齢制限は”公”には認められていない。
請負はもとより、派遣であっても、年齢を条件に入れたり(60歳以上の年齢制限はOK)、事前面談
したりは”公には”いけないことになっている。
こうした”非公式”な年齢制限は、もちろんエンジニアに限った話ではない。
広告業界でも、50歳超えたリーダは、広告会社から商売を取ってこれないそうだ。
やはり顧客リーダと同世代でないと商売取れないので、裏方に回らざるを得ないという話を聞いた。
自分自身が発注者だったときには、特に年齢制限をつけた記憶もないが、すべての企業様で、
横並びで年齢制限を付けているのを見ると、これも下請けならではの、いわゆる”忖度”なのかと
思ってしまう。
人材不足で、案件がこなせないという状況の中で、新たな活用が進まない状況で、少子高齢化が確実に
今後進んでいく中でも、社会として年齢不寛容社会が広がっているような感じがしてしまうのである。
もし45歳までが上限だとしたら全体従事者の中でどのくらいの割合の人でこなしていかないといけないのか。
厚生労働省が平成27年度国勢調査の情報通信事業者の従事者数から推定して算出してみる。
すると、~44歳までの従事者人口は、~64歳までの従事人口の62%。全体人口の6割しか前線に立てない。
なお、同じ数値を平成22年度調査を見ると人口の70%であった。5年で8%縮小している。
平成33年(2020年)になると、”使える”エンジニアの数は半分切ってしまう。
ここにIT人材白書 2017の日本と米国の情報処理・通信に携わる人材の年齢構成を算出している数値がある。
(日本:2010年、米国:2015年と比較年は違うが)
全就業人口割合 | 日本 | 米国 |
20~24歳 | 6.4% | 9.4% |
25~34歳 | 19.0% | 22.0% |
35~44歳 | 23.0% | 21.0% |
45~54歳 | 20.4% | 21.9% |
55~64歳 | 19.9% | 16.8% |
ほぼ全就業人口の年齢比はあまり変わらないが、情報通信産業就業人口では、
情報通信産業就業人口割合 | 日本 | 米国 |
20~24歳 | 6.4% | 5.5% |
25~34歳 | 35.5% | 26.4% |
35~44歳 | 34.5% | 28.8% |
45~54歳 | 18.3% | 23.1% |
55~64歳 | 4.8% | 13.3% |
米国と比較しても、45歳~の落ちこみ度が大きく、年齢構成に大きな偏りがあるのだ。
今後はAI、IOT、ビッグデータと新たな技術に取り組んでゆかないといけない。
こうした新たな技術こそ、若い人に取り組ませるべきではないだろうか。
すべてのプロジェクトが45歳程度を上限に設定して構成していたとすれば、無駄に非効率ではないか。
やはり、プロジェクトに求められている能力や、技能や”人間性(コミュニケーション能力)”で選択すべきで、
年齢で制限すべきではないと思う。少なくとも入口排除は止めるべきでは。
(おそらく、この”人間性、コミュニケーション力”というところで年齢制限がついているのではないかと思うが、そこは今後展開していきたい。)
そして、もうひとつ年齢制限と相まってIT業界での人材不足を起こしている原因があると考えている。
それを次回にお話ししたい。
参考資料
経済産業省 2016年 IT ベンチャー等によるイノベーション促進のための人材育成・確保モデル事業
厚生労働省 平成27年度国勢調査
独立行政法人 情報処理推進機構 IT人材白書2017
浅野氏は現在50歳。34歳のときから独立して自分の会社を立ち上げている。今年で18年目。シニアになる随分前から独立されているのだが、独立の最初のきっかけは”ちょっとしたできごごろ”からだ。
最初は大手ベンダの情報サービス会社に就職。汎用機の計算センターでオペレータとして毎日コンソールやテープと向き合う日々。これが一生つづくかと思って、入社早々げんなりとなったそうだ。当時はバブルのまっただなかで、「第二新卒」という言葉が生まれ、転職するのであれば早い方がいいと考え7か月で大手電機メーカに転社する。
大手電機メーカに転社したが、コンピュータの実務経験がなかったため、大学が理学部ということもあり、テレビのブラウン管の工場で製造技術者として品質管理の仕事を担うことに。Ⅹ線で分析して不良原因を調べる工程があり、大学時代の経験をもとに自分から手を上げたら担当に。集計にRDBを使ったり、基幹システムにもEthernetが導入されたり、さらに会社の情報システムの担当者が親切だったこともありシステムがものすごく面白くなっていく。やはり情報システムを担当してみたいと思うようになり、3年後再度転社。
次は、大手事務機器メーカの情報処理系子会社 S社。戸籍システムを開発する部門に配属され、システム開発を担うことに。1年後、戸籍の法改正に伴い、システムを刷新することに。今までオフコン、COBOLで稼働していたシステムを現状の拡張でいくのか、それともオープンに全面刷新するのか選択を迫られることに。上司たちは、まだオフコンでもいけると考えていたが、若手は、これからを考えオープンを選択。浅野氏も若手に加わることになる。毎日喧々諤々論議している中で、若手グループは営業を味方につけ、最終的にオープン化を選択。戸籍パッケージの開発に携わることになる。浅野氏は一業務機能を担当する他、ネットワーク、サーバOS、DBの設計を担当。大変だったけれどもプロジェクトを通していろんなスキルを身に着けたと語る。こうして4年ほど戸籍パッケージの開発にたずさわることになる
そんなおり、奥さんが地元の放送局で情報システム要員の募集広告が出ているのを発見。しかも地元までの交通費は会社負担と出ている。ちょうど帰省のタイミング。旅費も浮くし、適当に面接受けて落ちればいいかと思い応募。そのときは、これが人生を左右する面接になるなんて思いもしなかったが・・・
当日、放送局の面接室に入るとお年を召した役員がずらりと並んでいる。まだ29歳だった浅野氏は、どうせ“落ちる予定の面接”ということで、「これからの放送局はネット対応していかないと、ただの土管になってしまいます!」と大見えをきったそうだ。当然居並ぶ役員は、この若造何言ってんだ!という感じでブスッと。ただ一人、一番端に座っている人事担当らしき若手だけ、身を乗り出してうなづきながら聞いていた。
面接が終わると、浅野さん少し残っててください、専務から話があると言われ待つことに。かなり失礼なことを話したのでお灸をされるのかしらと不安げしていると、先ほどの若手担当者が。話を聞くと、実はこの方が専務で、放送局のオーナーの息子(当時)さんだった。「話がおもしろかったので、是非うちに来ませんか?」とのお誘い。帰省のついでに受けたんですとも言えず、大見え切って思わぬ展開に。そのときは専務からは「また連絡させてもらうから」でひとまず落着。
その後、1か月待ち、2か月待っても連絡は来ず?あれ、おかしいなと思い始めたころ、専務から電話が。「ついては情報システム子会社作るからそこに来ないか」との話。ちょっと考えさせてもらいますと時間をもらうが、地元に帰りたいこともあり、29歳にして、子会社に常務として転職。放送局の情報システムの面倒を見ることになる。
そこから5年。2001年になると放送局は、地デジ対応に莫大な投資をしないといけなくなり、関連会社をつぎつぎ圧縮することに。浅野氏がいた子会社も切り離され、そこで独立を選択。放送業界では、皆一定年齢になると独立傾向があり、自身としても特に違和感なかったとのこと。
独立して、自分の会社を興し、元の放送局の情報システムの仕事をそのまま引き継いだ。地元もインキュベーション促進としてまっさらな事務所を貸してくれ順風な立ち上がりだったが、翌年から状況が変わり始める。
地元の放送局は、人を雇い、情報システムを内製化、今まで来ていた放送局の仕事がストップすることに。会社は厳しいもんだ。色々仕事をとっていたが、地元ではあまり仕事がなかった。
仕方なく、古巣のS社の仲間を頼り仕事を受注。東京の仕事が大幅に増加したこともあり、東京に会社を移転。当時社員は2名いたが、1名は地元に残り、1名は東京へ。
東京に来てからは、S社からの仕事が7割ぐらいを占める。1社に頼っているためにやはり売上に波がでてしまう。そんなころ、かつてS社に派遣で来ていた同僚が突然浅野氏の事務所に。”音楽配信のシステムの開発があるので、全面的に受託をしてくれないか”との依頼。当時S社からの売上が細り、苦しかったこともあり、後先考えず受託。これがデスマーチプロジェクトだった。ふたをあけてみると、発注者の要件も不明確、仕様も流動的。外注も機能満たせない設計しかできず、かつコストダウンのためにオフショアを使ったために、仕様変更の嵐で対応できず終わらないプロジェクトに。どうにか納品したが、まともに動かず、肉体的にも精神的にも消耗しただけで終わる。やはり困ったときにこそ相手をよく見て気をつけないといけなかったと浅野氏も振り返る。これ依頼自分で受託の元請けをしてのシステム開発は選択しなくなったそうだ。
現在も会社が続けられたのは、S社のおかげと話す。長年S社から運用サービスを受託してそれが会社を支えてきた。しかしながら運用受託は偽装請負の危険性があるということで、昨年派遣に切替。それにともない、会社で受託できなくなり、収入源を失う目に。子供は高校生。一番家庭としてもお金のかかる時期だ。
色々営業したが、会社の規模と合う案件がない状態がつづく。そんなころ、ある会社から業務提携しないかとの話が。LinkedInにあげた履歴書を見てアクセスしてきたようだ。「シニア人材を求めている。若い会社なのでピリットしない。会社の”かなめ”として入ってくれないか。」とのこと。相手は、人材派遣会社の子会社で、SEを社員として抱えプロジェクトに派遣している会社。そこでマネージャ役でメンバを束ねてほしいとのこと。浅野氏は、自分の会社もあり、”副業許可”を念書でもらい、この会社の管理職として入る決断をする。
ところが会社に行くなり、炎上している現場に行ってくれと。行ってみると、プロジェクトはテスト工程が大幅遅延。プロジェクトマネージャは機能してないし、ビジネスパートナーとして契約していた協力会社の社員も突然来なくなり、社員もモチベーションが最低の状況。始発で現場に行っては、終電で帰るという生活に。メンバを励まし、テストを手伝いながら1週間でプロジェクトを立て直した。同時に、このプロジェクトは課題が多いので今回以降、継続しないことを会社に報告。
「会社は、人材派遣会社がベースで、儲けることが中心。技術的にどうこうではなく、お金にならない仕事が受けないし、少しでも単金が上がるプロジェクトに入れようとする。社員もスキルが上がれば給与の高いところに行ってしまう。またどんどん人を入れ、稼働率を高く高くと動いている。やはり人には厳しくなります。見切りがはっきりしていて、この会社がなぜ儲かるのかよくわかった。ある意味”いい勉強”にはなったが、現状のモデルは長くは続かないと思っている。」と浅野氏語る。
この10年でここ数か月が一番の激動の時期だったと語る。家族からも、「お父さん、サラリーマンになっちゃったの?」と言われ、とくとくと説明する羽目になったようだ。
現在浅野氏は、人材派遣会社にも見切りをつけ、再び自分の会社のかじ取りに全力を尽くしている。会社から、当初の条件になかった働き方を要請され、キッパリ断ったそうだ。
ここまで見てくると浅野氏の人生は波乱万丈だが、何事にも入っていって、かつ”勉強”と言いながらこなしていく姿に、本当にたくましさを感じる。
浅野氏は、「会社」というものの厳しさ・冷たさを何度も味わってきている。放送局での子会社への転社、そして整理など。
でもそのたびに、次の方策にトライし続けている。これも”たくましさ”所以だろ
こうした中で、これだけ自分の会社を続けられた要因は、やはり旧職とのネットワークだろうと感ずる。今でも仕事を紹介してくれるS社の同僚は、困ったことがあればお互い第一に連絡する相手となっているそうだ。浅野氏は、「会社を退職する際は、ケンカ別れしては絶対ダメ」と説く。
「浅野氏の選択」から事業を長く継続していくためのある意味“リアルさ”を感じる。
会社を長く引っ張っていくには、どんなことにもチャレンジしながら、門戸を広く構える“図太さ”が必要なのだろう。
大変な状況を“楽”といいながら、次の策を考える。
いつまでもチャレンジを続ける浅野氏、今度、自分の事業でどんなビジネスを展開していくのか、興味がつきない。またそれを聞いてみたい。
4月、5月とシニアライフデザインセミナーを開催している。
ライフデザインといっても”お金”の話ではない。
主に、どう生きていくかという”人間力”のセミナーだ。
このセミナーをやっていると
毎回講師セミナーからうける気づきの他、参加メンバからの気づきにハットさせられる。
40分ほどの講師からのセミナーのあと、コーヒーを飲みながら”お茶べり”と称して、トークタイム。
メンバーから講師への質問やら、出来事等色々話をメンバごとに話をしていくのだが、
ここが”ネタ”になって、さらにセミナーの内容がさらに深くなる。
第1回目のテーマは、「自分の賞味期限を延ばす人間力」。
様々な署名人の事例をもとに人の魅力ってどこから来るのか。そして”与える”ことから来る人魅力について講師が解説。
これを受けてある参加者から最近”与えられた”エピソードを話された。
この方、先日友人に誘われて、初めてAKBの握手会に行かれたそうだ。
もともとAKBにも、アイドルにも興味もなく、友人に誘われの人生初めての握手会。
一応予習してメンバの名前を憶えて会場入りされたそうだ。
列にならんで、いよいよ握手の順番に。ところが目の前にいたのは研究生。もちろん予習の範疇外。
そして握手へ。名前も憶えてこなかった研究生との握手。ゆっくりと手を出し、小さな手を握った瞬間、ビビッと電流が腕から体に突き抜けたそうだ。
重要なのはこの後。この方、この握手会の後からからラッキーなことが立て続けに起き、モチベーションがかなり高くなったそうだ。この方、たまたま友人に連れられて行った握手会。そこでエネルギー”与えられて”いいことを”引き寄せて”しまった。
シニアになると、”モチベーションがでない”とか”やりたいことがみつからない”という悩みをよく聞く。
この話を聞いて、実は気持ちが上昇するようなワクワク感がそもそも無くなってることが原因なのではないかと思っている。
年齢を重ねると、どうしても予想範疇内で生活する(できる)ようになってくる。もちろん日々身の回りで事件は起きる。緊張することはあっても、でもワクワクすることは少なくなっているのではないか。
シニアが”生き生き”としていくには、このワクワク感が必要なのではないか。どうしたらワクワクするのか、それは”ちょっとした冒険をする”ということだろう。冒険の度合いは、個人によって違うだろう。知らない街を歩くでもいいだろうし、いったことのない美術館にいくとか、”自分なりのちょっとした冒険”をもっていることが”生き生き”生きるコツのひとつかも知れない。
2回目は、「自分を次元上昇させる出逢い力」。セミナーの中で”あなたが影響を受けた人男女8人づつ上げる”ワークショップがあった。大方のメンバが、親、学校の先輩、友人、会社の同僚、先輩、上司を上げる中、お一方、自分のご子息を上げられた方がいらっしゃった。お二人お子様がいらして、同じ育て方をしてきたんだが、全然異なる成長をしている。その成長を長く見つめながら、自分が大いに成長したとおっしゃっていた。
確かに自分に影響を与えた人間は、必ずしも同僚、年上だけではない。
しかもこの方、教えてもらうことによってでなく、自分が教えることによって自分があらたな発見・成長があるものだなと気づいている。まさに目からうろこだ。
どうしても自分にとって重要な人間というと、目上、同僚を考えてしまう。でも、同様に自分を取り巻く若い人も同じくらい重要なはずだ。若い人から学ぶこともあるし、この方の例のように”教えることの”反射で自分が気づくこともあるだろう。
どうシニアが若い人と付き合っていくのか。上司・部下、年上年下といった立場をとりはらってお互い学ぶ相手として向き合う。こうして向き合えば、もっとシニアも”学びながら”成長を感じることができるのではないだろうか。
この2つ、話の視点は異なりますが、両方とも偶然にもシニアにとって自分が成長していく、エネルギーを得ていくために”若い人”がキーになっているお話でした。
連続セミナもあと1回。次回は「幸せをもたらす人間関係力 自分と周りの人達のトリセツ研究」次はどんな新たな気づきが出てくるだろか。また楽しみである。
生涯現役という言葉。見ない日はない。例えば「生涯現役」という言葉で検索すると
277万件出てくる。国、自治体、団体から企業、個人まで広く使われている言葉だ。
ただ、ご存じだろうか、この「生涯現役」という言葉。商標登録されている言葉だ。
特許情報プラットフォームJ-platpatで生涯現役を検索すると「生涯現役」で商標登録されている件数は10件(8社)。ぞれぞれ分野が異なっていて、教育事業から、金融商品、清涼飲料から、お菓子まで多岐にわたっている。
この中で一番古く登録している組織がライフベンチャー株式会社で1990年に登録となっている。
(このライフベンチャー株式会社は、私が所属している任意団体日本生涯現役協議会の関連組織である)
登録分類(対象製品)は、印刷物,書籍,雑誌,新聞等々で1997年に高齢化社会に対応し得る知識・能力の教授並びに地域社会に貢献できる人材に必要とされる知識・能力の教授という内容で登録し直されている。
最も新しい「生涯現役」の商標登録は、2014年12月 松崎製菓さん。もちろん分野はお菓子だ。
もちろん、「生涯現役」という言葉を商標登録するのには理由があったはずで、普通は、商標登録することにより、言葉をブランド化して差別化したいという意図があったのではないかと思う。
でも現実には、「生涯現役」という言葉、ものすごく多く使われている。例えば 生涯現役セミナで検索しても大量に検索結果が出てくる。皆普通の単語として「生涯現役」という言葉をつかっている。
それでは、例えば商標権の行使ってできるのか?
興味があったので商標・特許を扱う何名かの弁理士さんに聞いてみた。
「画一的な判断はできないのですが・・・と前置きしながら、弁理士さんは
商標登録されていても、必ずしも訴求できないものがあります。
例えば一般的に使われている単語になった場合のように普通名称化すると商標が登録されていても、
商標権の行使が不能となり、第三者による無断利用を排除することができない場合があること。
”生涯現役”という商標は、そういう対象になる可能性はあります。
また今まで、何もしていなくて、突然権利主張するのも難しいのではないか。」
とのお話をされていた。
閣議決定で「一億総活躍で生涯現役社会の実現」という言葉が出ている時代だ。誰でも使うのが普通になっている状況と捉えるべきだろう。
商標権を行使するということより、ここまで、商標登録した言葉が、一般用語にまでなったことを喜び、皆にどんどん使ってもらう。そこに価値を見出すことが重要なのかと感じた。
ここまで広まった「生涯現役」という言葉だが、そもそもこの言葉にはどんな”価値・力”があるのだろうか。
例えば皆さんは「生涯現役」という言葉にどんなイメージを抱くだろうか。
実は先日、複数の方から、たまたま「生涯現役」という言葉について、同じ内容の質問を受けてしまった。
「生涯現役ってやはり”働くこと”に限定されているんですよね」
もちろん、生涯現役という言葉、使われる場面で様々な意味で使われていると思うのだが、働くことだけ指しているわけではなく、もっと広く、生きがいをもちながら社会とかかわっていくこと、だから趣味でもいいし、地域での役割でも
いいし、必ずしも生涯現役=”働く”ということではないはずなのだ。
でも、最初に来る「生涯現役」から来るイメージは「働かなくちゃ」というところに来る。
(正直、私も長く働いていける社会を創る活動をしている手前、生涯現役と働くを結び付けて発言したり、書いたりすることが多いのだが・・・)
生涯現役という単語、概念そのものは、明るい未来を切り開こうという感じなのに漢字4文字の構造と相まって、重ーい単語のイメージをかもしだしている。
いやいや「生涯現役」って働くことだけじゃないですよっていくら力説したいところだが
先ほどの弁理士さん曰く、
言葉の持つブランド価値・ブランドイメージは、創った本人ではなく、受け取る相手が決めるもので
その言葉にどんなブランド価値を相手の方がもつのか、それをイメージしないと単語そのものに価値を持たせようと
しても意味ありませんよってな話も同時にされていた。なるほど。
確かに、中身は似ている”管理栄養士”と”野菜ソムリエ”。コンテンツ的には似通っていても、言葉のもつ受け取るイメージは大分違うのと似ている。
ライフキャリアプランニングという言葉も、人生の計画という意味だが、どうしても働くという意味がメインにでてしまうのと似ている。
一般用語した「生涯現役」という言葉がもっと一般的となって”ずっとアクティブに”ぐらいなイメージになるともうすこし明るく力のある言葉になるのではないかと思うがどうだろうか。